東京名画座グラフィティ
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一般に「名画座」と呼ばれる映画館は、興行システムでいうと、この三番館になるのだが、あえて名画座というのは、三番館が二番館経由の作品を上映するだけにとどまらず、独特のカラーをもって、固定ファンを引き付けることで、旧作を安く観られる以上の何かを創りだしていた』映画館のこと。
そんな映画館の多くは『上映スケジュールに加えてコラムやエッセイも入れた独自のパンフ・通信を出したり、監督や俳優の特集上映や、埋もれた旧作を発掘したり、オールナイト特集やゲストを呼んでのトークショーを試みたり、名画座がプロデュースをして映画を製作してみたり、ファン投票や伝言板のようなコーナーを作ってみたり、封切館や二番館にできない可能性をもっていた』という。
そういう「名画座」が80年代(90年代初め?)くらいまでは東京のあちらこちらにあった。この本では、なかでも渋谷、新宿、池袋、銀座、日比谷、浅草、飯田橋、早稲田、三軒茶屋、大井町などの独特のカラーをもった映画館を、著者の思い出をもとに紹介している。「佳作座」「並木座」「(旧)文芸座」「大井武蔵野館」「大塚名画座」などなど今は無き懐かしい映画館の名前が次々と出てくる。でも、昔の映画館は独特なデザインのものが多かったが、残念なことにそういう写真資料などは少ない。できれば館内の写真も見てみたかった。
もちろん「ラピュタ阿佐ヶ谷」「新文芸座」「シネマヴェーラ渋谷」「ユーロスペース」「早稲田松竹」「ギンレイホール」など数少ない東京の現役の名画座にもふれている(フィルムセンターも)。その他、二番館的な名画座も若干ながら生きながらえている。
かつて東京中に名画座があったから「映画」を追いかけるなんてことをみんながやっていた。「ぴあ」や「シティロード」を片手に好きな映画を何度でも見に行く。そんな人たちがたくさんいたから「ブレードランナー」なんて名画座に落ちてきてから満員御礼のヒット作になったほどだ(まだビデオ普及前、「何度見たが合言葉」。ロードショーのバージョンと名画座のバージョンが違うなんて噂話もあった)。当時は1本の映画の賞味期限が長かったんだね。フィルムがジャンク(配給期限切れで廃棄処分)されるまで何度でも人気作は上映されていた。よく「日本最終上映」なんて銘打って各映画館が競って上映していたもの。こういう文化は無くならないで欲しい。
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